全身モラル人間の末路

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本日も道路交通法、不成立。
私がここで暮らし始めて10年近くになるが、毎日ずっとそんな感じである。

このとち狂った土地には交通ルールなど存在しない。出歩くたび、ルールに素直に従っているこちらがおかしいのかもしれないと思わされる。実際そうなんだろう。存在しないものに従うことなど不可能なのだから。
ただこの地にも一応"交通マナー"は存在しているのだ。地元の人間に一時停止無視や合図不履行、自動車による遊歩道の走行などの話をすると「この地の人は"交通マナー"が悪いから」と返される。そうか、これらは全部マナー違反だったんだ。じゃ、仕方ないね…

とはいえ私がルールにこだわりすぎなところはある。なぜだかわからないが、とにかく不正がめっちゃ嫌なのだ。
学校のテストで採点ミスがあれば申告しないと気が済まない。点数が減ることよりも、誤解答部分につけられてしまった偽物のマルに耐えられない。小学生の頃にはすでにそうで、テストの結果が進学に響く中学生や高校生の頃も変わらず申告していた。だから入試の採点詳細が分からなくて本当によかったなと思う。そんな状況で1点を落とす覚悟を決められたかどうかは、正直自信がない。覚悟を決めて志望校に落ちるのも、決められなくて偽りの入学を果たすのも、どちらもつらすぎる。でもたぶん後者の方がつらい。「偽りの入学を選べる人間である」という事実によって、本質的な自信を失ってしまうのではないか。そして偽りの入学そのものも揺るぎない経歴として残る。死ぬまで一生背負う。元はといえば採点者の落ち度で犯罪でもない。なのにそれくらい罪深いことだと思ってしまう。
他にも厳密にゴミの分別をしたり、会社の備品を私的な用途で一瞬だけ使うみたいなことができなかったり、いろいろある。
別に「ルールだから」と思考停止で従っているのではない。本当は良くない、と分かっていながらもやり過ごすことができない。全身モラル人間なのだ。

そんな全身モラル人間が、交通ルールもモラルも存在しないこの地で暮らすとどうなるか。「一回事故らないとわかんないんだろうな」みたいな奴やそういう状況を見かけた時に"とりあえず私が轢かれるのもアリか"となる。「ルールよりも命を優先すべき」というのが一般的かつ合理的な見解だと思うし、私も死ぬことはおろか怪我だってしたくないのだが"まあ轢かれてもそれはそれで…"みたいな気持ちになる。天に導かれるかのごとく。てかたぶん"「一回事故らないとわかんないんだろうな」みたいな奴"は一回事故ったところでどうせ何もわかんないんだよな。私が死ぬか怪我をするかで終わるだけの、真面目な人ほど損をする典型。いや、真面目とかそういうのではない気がする。

大学生の頃、興味本位半分にブラックだと名高い会社へ入社試験を受けに行ったことがある。ちょっと偉い立場の人との面接(質問タイム)で「御社は他社からどのような評価を受けていると思うか」という意地悪な問いかけをしたからか不採用になった。
その話を聞いたゼミの先生に「…世直ししたいの?」と言われたことが今でも忘れられない。そんなつもりは全くなかったけど、でも私のやっていることって自己犠牲の精神によるものでもないし、となるとやっぱり世直しということになるのかもしれない。でももっと個人的なものとしてやっている自覚がある。私だけは呑まれないぞ、という抵抗にも似た何か。強いていうなら、"貫き"…?

さーてと、地球 救っちゃいますか。(闇夜に消える)